STARBUCKS 京都烏丸六角店をX70とdp1 Quattroで撮影

:: FUJIFILM - X70 ::


京都の中心地の四条烏丸のほど近く、聖徳太子が建立したと言われている「頂法寺」。

本堂が六角形をしていることから「六角堂」といわれ、「六角さん」という愛称で親しまれています。

そんな六角堂のすぐ隣にあるのが、たっちゃんが大好きなSTARBUCKS COFFEE「京都烏丸六角店」。

http://www.starbucks.co.jp/store/search/detail.php?id=880



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


天井がとても高くて、周囲は大きなガラス張りで覆われているから開放感に溢れ、その大きなガラスから「六角堂」を愛でることが出来ます。

スターバックスで京都の古寺を眺めながら、まったりと美味しいコーヒーを飲む幸せなひと時♪

FUJIFILM「X70」と、現在の愛機の一つSIGMA「dp1 Quattro」の両方で撮った写心(写真)を掲載いたします。



:: FUJIFILM - X70 ::


写心(写真)は全て、夜の店内で光が少ない室内での撮影です。

光の量が少ない場所では、カメラのISO感度が上がります。

ISO感度が上がると、光の少ない場所でも写真を明るく撮ることが出来ますが、感度を上げるほど写真にノイズが入ります。

でも、X70は高感度にとても強く、ISO3200までならノイズはほとんど気になりません。

ISO6400でも十分に許容範囲です!

素晴らしい高感度性能♪



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


一方のdp1 Quattroは、ISO800までがノイズの許容範囲。

同じISO800でX70と比較すれば、圧倒的にX70はノイズレスです。

これは、それぞれに搭載されているイメージセンサーの構造原理が根本的に違うから。



:: FUJIFILM - X70 ::


SIGMAのデジタルカメラに搭載されている「Foveonセンサー」は、その場の光の三原色(RGB)を全てそのまま100%取り込んでいます。

X70をはじめとする他社の"ベイヤー配列"のイメージセンサーは、光の三原色の内1色だけを取得し、足りない色は補完処理しています。

補完処理をしているから、光の量が少ない場所でもノイズの少ない写真を撮ることが出来るんですね。



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


SIGMAの「Foveonセンサー」は光を全て取り込むから補完処理をしません。

そのために、光が少ない場所でISO感度が上がると、他社カメラで撮った写真よりもノイズが多くなるというわけです。

つまり、光が十分にたっぷりと降り注ぐような明るい場所であれば、高級一眼レフをも凌駕する圧倒的な高解像度の写真を撮ることが出来ます。

光の三原色のすべてを取り込むから、補完処理して創られた色ではなく、「あるがまま」の色が写ります。



:: FUJIFILM- X70 ::


どちらも善いカメラです。

それぞれに得意不得意があり、そんなそれぞれの固有の「部分」を持って全体を成しています。

人も一緒。

金子みすずさんの詩にもあるように、『みんなちがって、みんないい。』



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


物事に対する捉え方、感じ方、考え方は人それぞれ。

分かっちゃいるけれど、実際の人間関係の中にいる時、つい感情が先立ってこの「真実」に目を背けてしまう。



:: FUJIFILM - X70 ::


例えば、その場にいない人の悪態の限りを尽くす人。

"人はそれぞれ"という「真実」を頭で知っていても、これでは自分以外の他人を受け入れる「善き心」があるとは言えません。



:: FUJIFILM - X70 ::


誰かを否定する時、多くの場合は本当にその人の価値が無いというより、「自分の考えはこうなのに受け入れてくれない・自分と違う事を言っている」ぐらいの理由でしかない場合がほとんどです。

でもそれって要は、誰かを否定したいという気持ちこそ、「私とあなたは違っている」ということの証明であると言えませんか?



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


さてこの真実を可憐に表現した詩を、元カウンセラーでもある私・たっちゃんがご紹介しましょう。

『ゲシュタルトの祈り』です。

カウンセリング療法の中の一つ、「ゲシュタルト療法」で有名なユダヤ人の精神科医、フレデリック・パールズの詩です。

ここでは割愛しますので、ぜひ一度検索してみて下さい。

日本語訳されたものが色々出てくると思いますが、要は掴んで頂けると思います。



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。

人は、それぞれに使命を与えられてこの世に生まれて来たのだと思います。

与えられた使命はそれぞれ。だから人もそれぞれ。

だからみんなが全く同じ価値観や考え方を持つこと自体、本来ありえない事です。



:: SIGMA - dp1 Quattro(モノクローム) ::


私は私。あなたはあなた。

みんな違うけれど、みんなそれぞれにそのままに「善い」のです。

だから、相手に良く見られようとしたり、相手を変えようとする事自体、逆に相手から心を支配されてしまっているということです。



:: SIGMA - dp1 Quattro ::


こういう言い方をすると、『私は私。だから何をしようと私の勝手。放っておいて。』を正当化する方がおられますが、これは大きな間違い。

確かに人はそれぞれではありますが、決して個に「孤立」していないということ。

みんなそれぞれが全体の「部分」を成していて、全体を成すために「部分」がみんな繋がり合っているのだと思います。

その繋がりの中で、偶然(必然)が私たちを出逢わせるなら、それは素敵なこと。

でもたとえ出逢えなくても、それもまた同じように素晴らしいこと。

どんなに自分自身が、自分とは違う人間を受け入れたとしても、この世の中にはやはり、相変わらず頭のカタ~~~イ人が、自分と違う他者を排除しようとしています。

でもだからと言って、その人に「頭を柔らかくしろっ!」って説教するのはお門違いというものです。

なぜなら、説教しようとしているその時点で、自分自身が「自分の考えはこうなのに受け入れてくれない・自分と違う事を言っている」と、相手を排除しようとしているのと同じ事だからです。



:: SIGMA - dp1 Quattro(モノクローム) ::


解ってくれる人なら、大いに受け入れて、認め合って育めばいい。

解らない人には、この人は解らないんだということを、自分自身が受け入れればいいだけ。



たっちゃん

京都のブランド品・時計・貴金属の買取専門店「MARUKA(マルカ)」に勤めるカメラ・レンズ査定士、フォトグラファー。
元カウンセラー、ウエディング・フォトグラファー。

記録「写真」より記憶「写心」をモットーに、善き心をこめて撮る"写心"と言霊を通して、失われつつある現代人の心をいかに育めるか(心育-ここいく)を本気で考えています。

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